初代主将挨拶
早稲田セーリング・30周年、心より、おめでとうございます!
今から30年前というと・・・加山雄三の「若大将シリーズ」がリバイバルでオールナイト上映されていた。今よりヨットへの憧れが強い時代だったんじゃないかな、と思う。湘南バイパスがまだ有料で、由比ガ浜に抜けるトンネルをぶっ飛ばした車は、バネさんの「117クーペ」、ユーキの「シルビア」、そして大須賀の伝説的な「セリカ」だったりした。
BGMの定番は“ユーミン”に“サザン”、洋楽では“イーグルス”や“ビリージョエル”時代はとても楽天的で、街の流行キャッチは“トロピカル”だったんだ。
そんな時代に、早稲田セーリングは誕生した。1976年・葉山の風がオフショアに変わる頃だったと思う。当時ヨットのメジャーは「470級」。ローカルに「Y15」なんていう、カッタルイ艇が「レッゴークラブ」中心に、各同好会の所有ヨットには、いっぱいあった。
早稲田セーリングは、主力艇として、迷わずプレジャー・ディンギーの470級に決めた。
創成期には、セール、ラダー、ブロック等を皆が手分けして、東京から葉山に持ち寄り、艤装して1艇を出し、着岸してまた皆でエイコラ持ち帰るという所からスタートした。
だから合宿所の設立は本当にありがたかったし、週末になるのが待ち遠しかった・・・
葉山の合宿所時代は、僅か1年間だったが、葉山マリーナのケンタッキーには随分通った。オフ時期には、ブルーセーリングもやった。江ノ島、佐島、等にデイ・セイリングして、マリーナに舫い、優雅にランチした。また、他女子大学の部員がオープンに出入りしていた時代で、練習終わりには、料理3品付きの夕食という豪華で贅沢な団欒があった。
大浜へ合宿所が移ってから、今のセーリングの原形が誕生したといえるかもしれない。
ちなみに、早稲田セーリング創業時代のカラーは、良くも悪くも“早実カラー”。
早実出身メンバーが50%以上のシェアーだったのだから、そうなる。お調子者で、お人好し、パァ〜と燃える時もあるが、総じて飽きっぽい性格。“集まり散じて”と、校歌にあるが、その通りだった。でも、ここ一番の結束力はあった。ヨットスクール、スキーツアーでの集客力は凄かった。そんなカラーも何時しか淘汰され、進化したのだろう、何せ30年もクラブが続くのだから・・・・たぶん、私をはじめ、早稲田セーリング創立メンバーの誰もが、今日まで継続するなんて、夢にも思わなかったのではないだろうか。
ゆえに、今こうして、初代だからと言う理由で、この文章を綴るのは甚だ気恥ずかしい気もするのだが、早稲田セーリングの歴史に偶然立ち会ってしまったことの意味合いも含め、以上のような散文的色彩になったことをご容赦願いたい。
また、そんなことが縁で毎年、私は夏の葉山での早稲田セーリングOB会に顔を出している。毎年、新キャプテンや、フレッシュと顔合わせしてコミュニケーションさせてもらっている。これもささやかながら、私なりの責務を果たしているつもりだ。
どうか、早稲田セーリングOB・OG諸君も、都合がつけば、葉山に来てあげてほしい。
なお、この場をお借りして、市村先生、バネさん、安田さん(故人)、そして同期の皆、多くのOB、OGに感謝しつつ、私の締めの言葉としたい。ありがとう!
早稲田大学セーリングクラブ・初代主将・鹿島健司
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